受け入れること、挑むこと。
私という「生」はどこに向かおうとしているのか。
今、何を求めているのか。
感情的になったり、頭の中が考え事でとらわれすぎている時、
そこに、心静かに耳を傾けようとすることをする。
ヨガやピラティスをする理由の一つにそんなところがある。
今はエクササイズやフィットネスとしてのヨガやピラティスが流行っているけど、
本来は自分自身とじっくり向き合う時間であったり、
深い呼吸の中から自然に沸き上がってくる身体からの答え
みたいなものを確かめるみたいな感じだと思う。
受動的なようで、かなり能動的な行為。
きちんと自分自身が響いている感覚を確かめているような。
体中の組織や細胞がお互いに響き合おうとする、そして、他の人とも、全体としても
より良く共鳴しようとすること、と私はそんな風に考えています。
カラダも気持ちも毎日変わる。
アップダウンを繰り返しながら、その先に幸せになるために、
皆んなもがいている。
色々あって当たり前、それでもこの世界にまだ光があることを、
光指す方向を見失わない力を持っていたいとなと思う。
ヨガのプラクティスでは、受け入れ、許容する静かな陰の部分と、
動的に挑む、陽の部分の両方を自分の中に育てることが理想的なこと。
それは、社会の中で自分の役割を果たすことが出来る健全で成熟した人、
自分自身や、他人に対して嘘や偽ることなく
心を通わすことができる人になっていく道筋でもあると感じます。
そんな簡単に、理想通りにはいかない矛盾にまみれた自分もいるのも確か
だけれど、今の自分の偏りやさまざまな凸凹な面を見てあげられることができる
素直な自分に帰れるようにしていきたい。
上手にバランスを取れるように日常をいつも微調整し続けながら。
行きつ戻りつ、そうしたことを求めることを
許された存在なんだと自分に信頼をもたらそうとしている。